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ほんとうの道徳
¥1,760
ISBN: 978-4-7987-0171-4 内容紹介 そもそも道徳教育は、学校がするべきじゃない! 2018年度に小学校、2019年度には中学校でも、道徳が「教科」となった。 学習指導要領は「家族愛」や「生命の尊さ」「国や郷土を愛する態度」など22の「価値」を教えるということを掲げている。しかし、ある価値観を教えるというのが、果たして「正しい教育」なのか? 現場の先生にとっても悩み多き問題だ。 そもそも、「道徳」は教え、評価できるようなものなのか? 著者はその問いに否定的だ。学ぶべきは道徳ではなく「市民(シチズンシップ)教育」であり、それはすなわち相互承認に基づく「教養」だと考える。 では、その中身とはどのようなものだろうか。 それを考えるには、道徳とはそもそも何なのかを知る必要がある。実は、この答えは古くから哲学者たちが突き詰めて考えてきたことなのだ。 道徳の授業なんて、「いい子」ぶった答えをしていればよい。 ――そんな授業はもう終わりにしよう。 気鋭の哲学・教育学者が、道徳の本質をわかりやすく解き明かし、来るべき教育の姿を構想する。 道徳副読本として教師や親、子どもたちも使える「理想の道徳教科書」となる一冊。 装丁:クラフト・エヴィング商會 著者略歴 苫野一徳【著】 1980 年兵庫県生まれ。熊本大学教育学部准教授。哲学者、教育学者。主な著書に、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHKブックス)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)がある。幼小中「混在」校、軽井沢風越学園の設立に共同発起人として関わっている。
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生きることのレッスン
¥2,200
ISBN: 978-4-901510-51-6 内容紹介 「からだ」に気づき、自分自身の言葉を発し、いのちを充溢させるための実践の軌跡と現場。 戦中戦後に自我の崩壊の危機をのり越えて、からだ全体でかかわりあった体験的な思想に裏打ちされた、「からだとことばのレッスン」の集大成。 目次 第一章 ことばとからだに出会うまで—わが敗戦後史 この人は「ことばがない」のだ/聴覚障害と失語症/一高という場/天皇って何だろう/盛岡と京都での体験/敗戦前後/世界の二重性/二度目の失語体験/魯迅の姿勢/竹内てるよのいのちの闘い/「民主主義」と「人間」の虚妄/作業仮説としてのデモクラシー/体験をどうことばにするか/内発性を求めて/『土』の主人公の怒り/スタニスラフスキーのアクション/主体としての「からだ」/相手が一人だと話せない/追いつめられた「からだ」/ガラスの壁が吹き飛ぶ/「仮設でない生」の現われ 第二章 「八月の祝祭」をめぐって—「人間」になる場 目標は持たない/なぜ組織と運動を拒否するか/パフォーマンスのコラージュ/クラウンの方法/憲法九条と中也の詩をどう読むか/曖昧さをどれだけ明確に描けるか/「負けたこと」に負けない/黒人霊歌の叫び/内発性で読む/「親殺し」のパフォーマンス/自然な反応を封じ込めた近代/レッスンの場のことば/「精神」を求める賭け/「良心」から「内心」へのすりかえ/日本語には文法がない/二つを一時に見る/魔性即仏性/「日本国憲法」のことばと構造/「人間」ということばのイメージ/童謡の「春」はどこに来たか/「人間の誕生」のために 第三章 いのちを劈くレッスン—からだのつぶやきに耳をすます からだに目ざめる試み/からだによるドクサの吟味/内発ということ/変わらざるを得ないから変わる/野口体操との出会いとわかれ/からだの不思議さの体験/存在の志向を知覚する/からだのつぶやきに耳をすます/演歌の歌詞をよく聞けば/面従腹背の教育の源/声の力/からだが消えてゆく/崩壊に向かう青年たちのからだ/変わる「レッスン」 /日本語を発するレッスン/存在そのものが劈かれる/「息合わせ」 /いのちを活きるということ あとがき 著者略歴 竹内 敏晴【著】 1925年、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、竹内演劇研究所を主宰。宮城教育大学、南山短期大学などで独自の人間教育に携わる。その後「からだとことばのレッスン」を創造・実践し現在に至る。著書に『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)、『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社現代新書)、『からだ・演劇・教育』(岩波新書)、『癒える力』(晶文社)、『竹内レッスン』(春風社)、『声が生まれる』(中公新書)などがある。