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生きることの豊かさを見つけるための哲学
¥1,760
ISBN: 978-4-7987-0174-5 内容紹介 ■頭で考えていても、人生の悩みは解決しない。 現代はストレス社会だと言われます。働き方改革が必要とされるくらいに皆が過労に悩み、あるいは人生が何となく満たされないという「生きづらさ」を抱えている人も多いようです。では、私たち現代人にとって、日々の幸せはどうしたら実現できるのでしょうか? 本書は、著者がこれまで研究してきた哲学・教育学・身体論を手掛かりに、生きることの豊かさを感じるためのヒントを探るものです。 西洋で生まれた近代合理主義は、科学を発達させ、私たちの生活を物質面で豊かにしました。その反面、近代人はいわゆる「頭でっかち」の状態になり、「悩み」という袋小路におちいりやすくなってしまいました。 そこで、本書ではデカルト以降の西洋近代の思想の流れを追うことで、その行きづまりの原因を探ります。そして、なぜ現代人にとって「身体感覚」を取り戻すことが重要かを、メルロ=ポンティの現象学的身体論や武士道、呼吸法などを参照して解き明かします。 身体を変えれば、この世界はこんなにも豊かに感じられる。実は、豊かさとは、すでに目の前に広がっているものなのです! 現代人のための「生き方の技法」を学べる一冊。 目次 第1章 生きることの豊かさを感じるために必要なこと いつの時代も「憂き世」は変わらない? 「生きづらさ」の正体 世界の豊かさに気づく「技」 情報化社会が「初めて」の体験を奪う 面白さを五感を通して味わう 「遊び」と「笑い」という人間の本質 スポーツ観戦で起こる「身体の感情移入」 案内者の重要性 実は知られていない学校のすごさ 職業も身体感覚で選ぶ 誰も身体の使い方を教えてくれないという不満 身体的経験を通して豊かさを発見する 幸せのスイッチ 現代人は「頭でっかち」の状態 失われた日本人の身体性 人間中心の考え方をやめてみる 第2章 心と身体――西洋近代を追体験してみる 西洋近代を克服するために われ思う、ゆえにわれあり デカルトによる考え方の技化 自分の中に「近代的自我」を確立する 西洋哲学における身体の見直し ニーチェが宣言した肉体の復権 芸術家は身体の声を聴く 人はこの世界をどのように認識しているのか 私にとってのリンゴと他人にとってのリンゴは違う? 世界を見ることは哲学であり、芸術である 身体と世界の出会い方 「習慣」を哲学的に考察すると 見ることは触れることと同じ メルロ=ポンティから学んだ「スタイル」 「人生のスタイル」を見つけよう 「場の空気」とは「身体の状態感」のこと 「気分」は自分の中だけでなく、世界から生まれてくる 学校と監獄の共通点とは 権力者は身体を通して支配する 合理的思考だけでない理性を見出したレヴィ=ストロース 消費よりも浪費が経済の本質である 第3章 日本人は身体をどのように考えてきたか 武士の身体に学ぶ 武蔵が悟った「空」の境地 ブッダも呼吸で悟りを開いた ヨガの本質を集約した二つのポーズ 道教における気の理論 禅の効用は、フレッシュな身体を持つこと 集中していながらリラックスしている状態 日常のなかに禅を取り入れる方法 「上達」の意味 明治の立役者も心は武士だった 能に受け継がれる身体文化 野口整体――呼吸を通して身体の気をコントロールする 野口体操――身体を通して自己を意識する 呼吸と書いて「コツ」と読んだ勝海舟 「拠り所」をどこに求めればよいか 第4章 教育と生き方の技法 「論より身体」の教育学 教師の身体が変われば、教室が変わる――身体の関係性 関係主義的に考えることのメリット 目に見えない関係性をどのように変えるか 関係の中でこそ個人の価値は生まれる 企業の暗黙知と身体知の関係 心の中で二人の自分が戦っている 「身体のモード」を変えてみる 言葉は身体性と結びついている 世界そのものが感情的である 黙読中心となって失われたもの 食文化と身体性 失われた身体性を取り戻すには 自分が得意な「動詞」を見つける 語彙力の少なさは致命的 「あこがれていく身体」が人の本性 身体への関心の高まり コミュニケーションも身体から 著者略歴 齋藤孝【著】 明治大学文学部教授。1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学大学院教育学研究科博士課程等を経て現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。『声に出して読みたい日本語』(草思社・毎日出版文化賞特別賞)、『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス・新潮学芸賞)、『教育力』(岩波新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『齋藤孝のざっくり!日本史』(祥伝社)など著作多数。
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幸福と人生の意味の哲学
¥2,640
ISBN: 978-4-7987-0170-7 内容紹介 「絶望することにも絶望するとき、私たちは『幸福という神秘』に包まれる」 ――中島岳志 氏 推薦! 「不幸なのに、どうしようもなく苦しいのに、死んだ方が楽であるのに、 なぜ生きていかねばならないのか?」 ……そう問う人に、あなたならどう答えるか。 身近な人の死や貧困、いじめ、そして大きくは戦争や自然災害など、この世は苦痛や痛みで溢れている。 もちろん、比較的幸福な人生を送る人も少なからずいるだろうが、その人たちとていつか不幸に陥るかもしれない。 そもそも他人から見て「幸福」な人生であったとしても、「何のために生きているのか」という人生の意味に悩まされるのが人間だともいえる。その点で、幸福と人生の意味とは密接に関連している。 では、いったい幸福とは何か? 人生の意味とは何なのか? 本書は、そうした問いに哲学の観点から答えようとするものである。 人は誰も「不幸の可能性」から逃れられない。 「どうせ死ぬのだから、人生は無意味だ」ということも、哲学的には正しい。 しかし、その「絶望」を超えて、なお人生が生きるに値すると示しうるならば、それはどのようにしてか。 パスカル、カント、ウィトゲンシュタイン、ネーゲル、中島義道、長谷川宏、船木英哲ら古今の思想家やトルストイ、カミュ、中島敦ら文学者の言葉を手掛かりに、私たち一人ひとりが人生と向き合うための思考の軌跡を示し、哲学の新たな可能性を拓く。 目次 はじめに 第1章 幸福の難しさ 第1節 幸福のどうにもならない側面 (1)この世の不幸 (2)なぜ生きていかねばならないか (3)幸福の外在的側面 (4)幸福と幸運 第2節 幸福の内面化 (1)「外在的幸福」の不安定さ (2)ストア派の幸福論 (3)不幸は考え方次第なのか (4)意のままにならぬ内面――回復と時間 第3節 幸福の幻想性と脆弱性 (1)幸福のうちに見出される傷 (2)生きることと苦しめること (3)〈幸福〉と〈現実から目を逸らすこと〉 (4)パスカル・ラッセル・長谷川の幸福論 第2章 人生の無意味さ 第4節 死と人生の意味 (1)幸福をめぐる問題と人生の意味をめぐる問題 (2)人生と世界の違和感 (3)どうせ死んでしまう (4)生きてる間は楽しまなくっちゃ 第5節 国家や歴史は人生に意味を与えるか (1)人生の意味と人間を超えた何か (2)人生の意味と自殺 (3)国家・歴史・人生の意味 (4)人間がもつ〈一歩退く〉という知的能力 (5)国家や歴史を相対化しうることの必然性 第6節 物質と〈ただ在るに過ぎないこと〉――世界は絶対的に無意味か (1)人生の意味と唯物論の問題 (2)一切はただ在るに過ぎない (3)存在の脱意味化 (4)船木英哲の絶対的無意味 第3章 有意味さの不可避性と相対性 第7節 人生の不条理とアイロニーを伴った生き方 (1)絶対的な無意味さの不可能性 (2)人生の意味と無意味をめぐる不条理 (3)この不条理な生をどう生きるか――アイロニーの勧め (4)李陵のアイロニカルな生き方 第8節 アイロニーと人生の意味 (1)自分自身の価値観との距離 (2)アイロニストがテロや暴力に反対する際の〈どっちつかずさ〉 (3)渡部昇一のアイロニー欠如 (4)アイロニーの意義 (5)アイロニーと人生の意味 第9節 「有意味な生とは何か」への応答 (1)語りえぬものを大切にする姿勢 (2)直接語らないこと (3)メッツ批判 (4)伊勢田批判 (5)戸田山批判 第4章 幸福の可能性と現実性 第10節 幸福と語りえぬもの (1)森村への「複層的」批判 (2)「分からない」という結論 (3)書かれている以上のことが何も染み出してこない (4)すべてが美しい 第11節 超越的幸福 (1)〈眼前に現れうるもの〉と〈超越〉の区別の重要性 (2)幸福と不幸を世界内部的な基準で測ることの問題点 (3)幸福の可能性 第12節 信仰の重要性 (1)現実から目を逸らさぬこと (2)信仰の重要性 (3)信仰とアイロニー 第13節 人生が幸福という意味をもつことを―― (1)幸福こそが人生の意味である (2)超越の光に照らされて (3)永遠の相の下に (4)時間と事実